年末も近づいてきたある日、電話が鳴った。よく仕事を一緒にする某社のK氏。
「1月4日の東京ドームでVJが決まりそうなんだけど予定あいてる?」
プロレスを筆頭に格闘技全般が大好きな自分としては、その興行はプライベートでも見に行こうと思っていたので、予定はあいているというよりもともとその為に割かれており、二つ返事でOKを出した。
しかし世の常でいい話というのは10あったら9は立ち消えるようにできているので、今回も話半分位に構えていよう、と決めたのだがやはり心ははやり、落ち着かない。
そんな思いが届いたのか「決まったから打ち合わせをしよう」という電話が程なく届き、一瞬夢心地になる。直後の打ち合わせで夢の前に現実をどかっと配置されるであろうことからは、分かっていながらまだ目をそむけていた。
しかしいつまでも目をそむけている訳にもいかず、何を作って実際どの部分でVJをやるのかをほぼ年末に決めて、そこから1月3日までの間に素材を作り終え、どんなセットアップにして何をどうするかを決めなくてはならなかった。
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▲会場でのセットアップも悩みの種 |
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情報がいろいろと交差して、一度全選手の入場映像とファイティングV(試合前のあおりビデオ)を作るということになった時にはさすがにスケジュールから「睡眠」が完全に消えたが、最終的には全試合の退場と、蝶野選手、天山選手、永田選手、中邑選手の入場時、そして20分ある休憩時のラスト5分間、この5箇所でのVJインサートとなった。
VJをやっている人ならわかるはず、というかこれがまさに皆が辞めていく理由なのだが、VJにとってのイベントは当日よりもむしろその前日までの作りの方が大変であることが通常であり、今回は自分の左手が怪我で全く使えなかったことも考えて仲間3人と手分けして制作をすることにした。
2年ほど前に同社のG1クライマックスという夏のシリーズの前夜イベントでVJをやった際に、フロントの方が○○選手と××選手は今関係が微妙だから一緒にしないで下さいね、とイベントオーガナイザーに言っているのを小耳に挟んだことがある。その二人がけんかを始めてしまうともはや誰も止められないというのだ。
誰にもけんかが止められないクライアント。
自然と制作の気持ちも引き締まるというものだ。
制作に入ってからはクラブでカウントダウンVJをやった以外は、年末も年始もなく作り続けていた。天山選手を担当した笠原女史は素材を見すぎて天山ファンとなり、永田選手を担当した橋本氏は地下鉄半蔵門線の「永田町」にさえ反応するようになった。
そうして出来上がった素材を持ち寄り、とうとう当日を迎えたのであった。
[Part2へ つづく]
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